夏休みは毎朝5時起き。
ぼーっとする頭を叩き起こしながら、学童用のお弁当を作る。
「給食がないんだから、栄養が偏らないようにしなきゃ」 「汁の出ないおかずを」「ある程度は彩りも」
自分のためじゃない。 ただ、目の前の子どものために、家族のために、必死に頭と手を動かしている。
それなのに。 横からパートナーに、悪気のないトーンでこう言われたことはありませんか?
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」 「冷凍食品にすればいいじゃん」
その瞬間、スーッと血の気が引くような、あるいは心の奥からブワッと猛烈な怒りと悲しみが湧き上がってくる。
そして、そのやり場のない感情は、いつしか相手を激しく突き刺すような言葉になって爆発してしまう……。
相手はきっと、責めているわけじゃない。「無理しなくていいよ」という目の前の問題を解決するための、彼なりの優しさなんだろう。 でも、私が本当に欲しかったのは、そんな言葉じゃない。
「いつも栄養まで考えてお弁当作ってくれてありがとう」 「大変だよね、何か手分けしようか?」
その、私の「がんばりの背景にある家族への思いやり」への気づきが欲しかった。
それなのに、こちらの必死さに気づきもしないで、手分けしようとするわけでもなく、「大変ならやらなきゃいいじゃん」とバサッと正論で切られてしまう。
このつらさは、自分ひとりで歯を食いしばって体力の限界まで頑張り続けることよりも、はるかに深い【孤独】。
自分が家族のためにすり減らしてきた時間や愛情が、一番わかってほしい人に届かず、すべて「意味のない一人相撲」にされたような気がしてしまうから。
でも、ここで少しだけ、立ち止まって自分の心に聞いてみてほしいのです。
「なんで私ばっかり!」とこんなに不満を感じているのに、どこかで「でも、夏休みを回す主担当は自分(母親)だから」という前提が、自分自身の中にもありますよね。
「お弁当作りが大変」とだけ言うと、相手はタスクを減らそうとアドバイスします。
でも、本当に私たちが抱えているのは、膨大なタスクだけでなく、 「一人で留守番させて大丈夫かな」 「一日中YouTube漬けになっていないかな」 「宿題は進んでいるかな」 という、仕事中も頭の片隅を離れない【見えない不安】。
もし、その「私がやらなきゃ」の思い込みを少しだけ解いて、自分の「愛情」と「つらさ」の本音をそのまま、こんな風に相談を始められたとしたら、どうでしょうか?
「夏休みは給食もないし、子どもの栄養バランスや家での過ごし方がすごく気になって心配。でもね、今の私には一人でそれを全部抱えるのが大変過ぎて……。だから、一緒に考えて助けてほしい」
こうして素直に伝えることができたら。 相手だって、「あ、そんなに色んなことを心配して、必死に考えてくれていたんだな」「それなら、俺に何ができる?」と、きっと全く違う優しい言葉をかけられるはずなんです。
不機嫌なオーラで「察してよ」と伝えるのをやめて、自分の本当の気持ちを穏やかにリクエストする。
そのためには、まずママ自身が「私、主担当を一人で背負って、コップが溢れそうなほどつらかったんだな」「それだけ家族を愛しているんだな」と気づいて、自分をヨシヨシしてあげることがスタートです。
夏休みを1人で疲弊して乗り越えなくてもいいんです。
誰かのために注ぎ続けているその大切な愛情を、ほんの少しだけ、まずは自分に向けてあげて欲しい。
もし今、一人で寂しく歯を食いしばって限界を迎えているなら。
私の開催している「自分を許す心理学入門」講座で、その苦しいイライラのループを解きほぐし、自分の本音を穏やかに伝えるための「心の境界線」を一緒に練習しませんか?
これ以上、あなたの優しい心が擦り切れてしまう前に。どうぞお待ちしています!