仕事も順調、家族も大切。 客観的に見れば、欲しいものはすべて手に入れているはず。
なのに、なぜか毎日がツライ、心が満たされない……。
「周りはもっと大変なのに、贅沢な悩みだと言われそう」 「自分がもっと頑張れば、すべてうまく回るはずだから」
「こんなふうに思ってしまう自分はどこか変…?」
そうやって、自分のツラさにさえ罪悪感を持って蓋をして、一人で限界まで抱え込んでいませんか?
実は、かつての私も、まさにその暗闇の中にいました。
■ 七夕の夜、私が短冊に書いたこと
会社員をしながら、必死で子育てをしていたときのある夏の日のことです。
小学生だった長女のお友だちの家で、七夕のホームパーティーがありました。
開催者のママさんが、七夕だからと、笹と短冊を用意してくれたんです。子供の分はもちろん、大人の分まで。 みんなが楽しそうに願い事を書くなか、私がペンを握りしめ、胸を締め付けられるような思いで書いた言葉があります。
「幸せを感じるアンテナが欲しい」
当時の私は、自分が幸せであることは痛いほど分かっていました。 元気にすくすく育ってくれている可愛い子どもたち、よく働く家族思いの夫、職場では将来の女性幹部候補として期待され、念願のマイホームも建てたばかり。
客観的に見たら、100点満点の幸せの中にいるはずでした。
なのに、なぜかいつも心が空しい。満たされない。
「幸せって、一体何なんだろう?」 そんなことばかり考えてしまう自分を、「なんてワガママで、ダメな人間なんだろう」と激しく責め続けていたのです。
■ 「尽くすこと=愛情」という優しさの罠
なぜ、すべてが順調なのに、あんなに空しかったのか。
心理学を学んだ今の私なら、当時の私の心のブレーキがよく分かります。
真面目で頑張り屋さんな人ほど、無意識のうちにこんな風に考えてしまいがちです。
「家族のため、大切な人のために、やってあげること・尽くしてあげることが愛情」
そしてその裏側で、「誰かの役に立たない自分は、ここにいても意味がない」という強い呪縛を自分にかけてしまっているのです。
成果を出している自分、完璧に家事をこなしている自分、笑顔で家族に尽くしている自分……。
そんな「条件付きの自分」しか認められないから、一瞬たりとも気が抜けなくなります。
自分のコップが空っぽになってもなお、大切な人のために注ぎ続けようとしてしまう。
注ぐものなんて、もう絞り出せないほど疲れているのに、そのSOSを認められない。
だから、どんなに恵まれていても、心がヘトヘトで「幸せを感じる心の余裕(アンテナ)」が育たなかったのです。
■ わが子が生まれた日のことを、覚えていますか?
もし、当時の私と同じように「満たされない自分」を責めている人がいたら、ちょっとだけ、わが子がこの世に生まれてきてくれた時のことを思い出してみてください。
小さな命を腕に抱いたとき、「この子は将来、私の役に立ってくれるだろうか」なんてこれっぽっちも思わなかったはずです。
ただそこに生きていてくれるだけで十分。 笑ってくれているだけで、元気に息をしてくれているだけで100点満点。 ただただ、存在そのものが愛おしかったですよね。
だとしたら、どうか知ってほしいのです。
あなた自身も、かつて誰かにそう望まれて、ただ愛されて大きくなった存在なのだということ。
そして、あなたのお子さんも全く同じです。
あなたが完璧に家事をなさなくても、仕事で疲れ果てていても、たとえ「役に立たない自分」だと感じてしまう日があったとしても――。
お子さんは、あなたがそこにいてくれるだけで大好きで、お母さんが笑ってくれているだけで100点満点なんです。
■ あなたの「幸せのアンテナ」を取り戻すために
誰かのために身を粉にして尽くすことだけが、愛の形ではありません。
大切な人があなたに向けてくれている「無条件の愛」を、今度はあなた自身が、あなたに注いであげてください。
手放しても、完璧じゃなくても、あなたの価値は1ミリも減りません。 まずは今日、「いつも本当に頑張ってるよね、私」と、自分を丸ごと許してあげることから始めてみませんか?
あのとき私が欲しかった「幸せのアンテナ」は、外側の条件をそろえることではなく、自分を許したその心の余白に、自然と立ってくるものだったのですから。