こんにちは。和田しょうこ です。
私は普段、心理学入門講座の講師として受講生の皆さんに「自分を許すこと」をお伝えしています。
同時に、家事代行サービスを通じて、たくさんの働くママやパパたちの家庭に寄り添ってきました。
今日は、講師としての教科書通りの正論ではなく、私自身が「自分ゴト」として自己受容について考え、猛烈に葛藤した話をさせてください。
「何もない自分」が、どうしても受け入れられない
心理学の講座でよく使う「木のメタファー(例え話)」があります。
葉が茂り、花が咲き、実がなる状態を喜び、認めるのが「自己肯定」。 冬になり、葉も花も何もない状態の自分を受け入れるのが「自己受容」。
「なるほど、冬枯れの何もない自分も認めよう」――そこまでは、私も頭で理解できました。
ですが、講座の準備をしながら、私の心が激しい拒絶反応を起こしたんです。
なぜなら、私が冬枯れの自分を認めようとするとき、無意識に「でも、これは次の春にまた花を咲かせるための『準備期間』だから」という条件をつけていたからです。
心の中で、こんな声が響いていました。 「もし次の春になっても、葉っぱの一枚すら出てこない自分だったら……?
そんな役立たずな状態、絶対に受け入れられるわけがない」
人より成果を出すこと、誰かの役に立つことでしか自分の存在価値を確認してこなかった私にとって、「一生何も生み出さない自分でもいい」なんて、最初はただの綺麗事にしか聞こえなかったんです。
「役に立たないと見捨てられる」という、無意識の恐怖
「自分をそのままでいいと認めたい。なのに、どうしてもできない。それはなぜだろう?」
一人でぐるぐると悩んで、気づいたことがあります。 それは、私たちの中に「何の役にも立たない自分になってしまったら、誰からも必要とされず、見捨てられてしまうんじゃないか」という、根深い無意識の恐怖があるからではないか、ということです。
仕事や家事が思うようにいかないとき、私たちは無意識に、自分自身に「ダメだ」「これじゃ価値がない」とバツ(×)をつけ続けてしまいます。
そうやって自分を責め立ててしまうのは、サボっているわけではなく、「居場所を失いたくない」と必死にがんばってきた証拠でもあるんですよね。
だからこそ、そんなに簡単に「何もしなくてOK」なんて思えなくて当然なんです。
完璧につかめなくていい。今できる「ヨシヨシ」のレッスン
じゃあ、その恐怖をどうやって克服すればいいの?と思いますよね。
正直にお伝えすると、心理学の講師である私自身、その感覚を完璧につかめたわけでも、恐怖をきれいに克服できたわけでもありません。
でも、「一生何も咲かなくていい」という壮大な理屈を頭で納得させる代わりに、日常生活の中で確実にできることがあります。
それが、「自分にヨシヨシしてあげること」です。
思うように家事や仕事が回らなかったとき。
完璧にできない自分に焦りや不安が湧いてきたとき。
理屈で自分を説得しようとするのをやめて、ただ「そっかそっか、焦っちゃうよね。不安だったね。よくやってるよ、ヨシヨシ」って、自分の胸にそっと手を当ててあげる。
たまに忘れちゃうときもあるけれど、夜ベッドに入った後からでも「あの時しんどかったね、ヨシヨシ」ってやってあげる。それだけで、不思議と心がすーっと落ち着いていく。
私自身、いまそんな実感を得ている真っ最ちゅうです。
外側の誰かに「私を見捨てないで」と期待するのをやめて、自分が自分の一番の味方になってあげる。
だって、私の心を本当の意味でヨシヨシしてあげられるのは、世界中で私しかいないのだから。
完璧じゃなくていい。
今日も、明日も、「まぁいっか、ヨシヨシ」って自分をあやしながら、一歩ずつ進んでいく。
そんな泥臭くて優しいレッスンを、私と一緒に始めてみませんか?
……と、ここまで偉そうに「自分にヨシヨシしよう」なんて書きました。
でもね、最後に私の本当の本音を白状させてください。
心理学の講師をしていても、ブログでこんな風に発信していても、私の心の奥底には、今でも**「結局は、何の役にも立たない自分なんか、絶対に認められない」**って頑固に言い張る私がいます。
何十年の癖は、そんなに簡単に治りません。
だから、もしこの記事を読んでいるあなたが、「やっぱり自分を認められない」と苦しんでいたとしたら、伝えたいです。
無理に認めなくていいです。私だって認められていません(笑)。
「あぁ、私は今日も、役に立たない自分をどうしても許せないんだな」
そうやって、**「どうしても自分を認められない、頑固で不器用な自分」の頭を、そのままヨシヨシしてあげる。**そこから、皆さんと一緒に始めていきたいと思っています。